PEOPLE
ピースな人々
一人歩きしてくれるのが音楽の素晴らしさ。

ー作曲家という仕事に進んだきっかけを教えてください。
大島:
きっかけと言っていいかは分かりませんが…父親が長崎の地元テレビ局に勤務していたこともあり、映像や音楽に接する機会が割と多く、子どもの頃から映像や音楽にとても興味を持っていました。家で映画を観たり、映画音楽を聴いたり。
エレクトーンを習っていたのですが、クラシックではなくポップスや映画音楽、ロックを弾いていました。
その後、音楽大学に進学して作曲の勉強をしました。
ー何がきっかけで映像に関係する音楽に進まれたのですか?
大島:
大学4年生の時、友人が「コマーシャル制作の現場を見学に行かない?」と誘ってくれたんです。時代は80年代のバブルの頃。コマーシャルにはすごくお金がかけられていて、とてもクリエイティブな現場で刺激を受けました。
それで、コマーシャルを制作していた会社の社長に「 勉強のために、これからも見学に行きたい」という内容の手紙を出したんです。
すると、すぐに「人手が足りないからアルバイトで来ませんか」とお返事をいただいたんです。そうしてこの世界に足を踏み入れ、大学と事務所を行ったり来たりする生活が始まりました。
ー在学中からお仕事をされていたのですね。
大島:
学業以外はアルバイト漬けの日々でした。初めてお給料をいただいたのは求人情報誌のコマーシャルで、楽曲はデンマーク民謡「いとまき」をアレンジしたものです。
音楽は、人生の記憶の一部になれる。
ーたくさんの曲を書かれていらっしゃるので、何について質問しようか迷ったのですが、NHKの大河ドラマ「天地人」のテーマ曲について教えてください。
大島:
子どもの頃、大河ドラマのオープニングテーマが大好きで、エレクトーンで弾いたりしていました。それこそ、大先輩たちが作った曲ですよね。
なので、大河ドラマの仕事をするとなった時はとても嬉しかったですね。子どもの頃に、オープニングを聞いてワクワクした気持ちを感じられるような音楽を書きたいと思いました。
ー「天地人」のテーマソングは甲子園のブラスバンドが演奏する人気曲で、ドラマゆかりの新潟代表の試合の時には必ず耳にしているように思います。
大島:
そうなんですね。甲子園のことは知らなかったのですが、長岡の花火大会のBGMで流したいというお問い合わせは今も来ます。音楽って、そんなふうに残っていけるところがいいですね。
映像と一緒に残ることもあれば、音楽単体で残っていくこともあります。
わたしが書いたもので、NHK朝の連続ドラマ「あすか」のテーマソングで「風笛」という曲があります。1999年の放映だったのでもう25年近く経ちますが、今でも毎月のように譜面を出したいとか、コンサートで演奏したいというお問い合わせをいただくんです。
ある時は、韓国の世界的な歌手の方が「風笛」にご自身のお母様への想いを詞にして歌われて、CDにもなったこともありました。音楽が一人歩きしてくれて嬉しかったです。
今、甲子園の話をしてくださいましたが、音楽は記憶と共にあるじゃないですか?
この曲を聞いたら、ある状況を思い出すとか、ある時代を思い出すとか。そんなふうに、音楽が一人歩きして、誰かの人生の記憶の一部になれるのが音楽の素晴らしさだなと思います。
ー曲を作るとき、大切にしていることを教えてください。
大島:
「どう感じるか」に意識を向けて技術に走らないように心がけています。もちろん技術は大切ですが、自分自身がどのような気持ちでどう表現したいかという感情的なことを大切にしています。心がそこにあるかどうか、ですね。

ー作曲の仕事には、どんな苦労がありますか。
大島:
わたしは、作曲そのものはとても楽しいんです。締め切りまでに監督や演出家、多くの関係者が満足するものを仕上げるプレッシャーはありますが、産みの苦しみよりは、楽しさのほうが上回っています。
ー作曲家として、日々意識してされていることはありますか。
大島:
散歩です。
ほぼ毎日、食料品や日用品の買いものがてら1時間ぐらい散歩をしています。
なぜ散歩をするかというと、頭を整理するためなんです。
長い時間、楽器やコンピューターに向き合っていると頭を整理するために散歩をしたくなるので、歩いて体を動かしてリセットしています。
昔から、作曲家はよく散歩をするという話があります。ベートーヴェンが「田園」というシンフォニーを作った時も、散歩をしていたのだそうです。

音楽と映像。
ー先生は映画やドラマ、CMなど映像に関わる音楽をたくさん手掛けておられますが、特に好きな映像作品のジャンルはありますか?
大島:
例えば、映画がいいとか、テレビがいいとかジャンルの好みよりは、「この作品が好き」「自分にあっているなぁ」という感覚に近いです。また、監督や演出家との相性もあると思います。
ー映像作品があって作曲をされるときの難しさを教えてください。
大島:
音楽は、とても広いものです。例えば「明るい軽めの音楽で」と言っても、監督や演出家によって想い描いているものが全然違います。
映画やドラマで曲を書く際は、テレビだと演出家、映画だと監督とやりとりをするのですが、何度かご一緒している方なら何を求められているかがわかりますが、初めてお仕事する時は、思い描くものを想像するのが難しいこともあります。
ー大島先生に依頼が来る時点で、どの程度のストーリーがわかっているのですか?
大島:
映画の場合、作曲にとりかかる時点で大体の映像が仕上がっています。
ドラマの場合は、企画書ができているくらいの段階だったり、全11話のドラマだとして最初の2,3話だけ脚本があるような状態はよくあります。
ですから、漫画や小説の原作がある場合はそれを読んだりもします。
Nagasaki Green&Blue
ー長崎と聞いて浮かぶ音や曲、楽器はありますか?
大島:
特定の曲は思い浮かばないのですが、讃美歌のイメージがあります。幼稚園と高校がカトリック系だったので、教会が身近にあって、讃美歌を時々聴いていたのを思い出します。
ー長崎と聞いて浮かぶ風景はありますか?
大島:
わたしにとって、長崎は海と山なんです。
子どもの頃、夏は「ねずみ島(皇后島の通称)」に通っていました。そこは、夏休みになると島全体が水泳教室になるんです。小さな船に乗って20分ぐらいかけて、約1ヶ月ちょっとほとんど毎日通っていたんです。だから海の印象は強いですね。
山に関しては、よく山登りをする家庭だったので、思い出の風景になっています。あとは、やはり坂道でしょうか。

ー先生が作曲された長崎県イメージソング「Nagasaki Green&Blue(長崎グリーン&ブルー)」はまさに海と山ですね。
大島:
長崎から、長崎のイメージソングになるような曲を書いてほしいとのお話をいただいて生まれた曲です。
最初に曲を書き、あとで詩をつけていただきました。自分の中で、長崎のイメージは自然のグリーンとブルーなんです。

ー長崎県内では、地元のテレビ局でよく流れています。
大島:
あの綺麗な空撮の映像ですよね。私も観たことがありますが、本当にきれいですよね。
ー原風景となる長崎の風景が今も影響していると思われることはありますか。
大島:
いろんな国で暮らしてきましたが、共通しているのは近くに水があるところが好きということでしょうか。 今、住んでいるのはニューヨークですが、すぐそばにハドソン川があります。パリ時代は、目の前がセーヌ川でした。東京の時は、目黒川。 振り返れば、水のあるところの近くに住みたいんだろうなと思います。海と山が浮かぶと言いましたが、どちらかといえば海派なんでしょうね。
平和の継承について思うこと。
ー大島先生は、被爆50周年の年に、長崎市のために「千羽鶴」という曲を書かれています。この曲について教えてください。
大島:
自分の中ではそれこそイメージには讃美歌があったんです。 平和がこうあるべきだと訴えるというよりは、祈るように歌う、平和を願うように歌うイメージがありました。被爆50周年の時だから、もう30年前になるんですね。 早いですね。
ーながさきピース文化祭は「平和の継承」もテーマのひとつになっていますが、平和について、先生はどのような想いを持っていらっしゃいますか?
大島:
まず、平和や戦争については、住んでいる場所や国で大きく考え方が違うということです。
進学で上京した時、友達が戦争の話をしないということにとてもびっくりしたんですね。亡くなった母が被爆者だったこともあって、うちでは毎日のように「その日」の話をしてくれていました。本当に、毎日のようにしてくれてたんです。長崎にいると、戦争や原爆の話はとても身近にありますが、同じ日本でも違うものだと驚きました。
そして、世界中いろんなところへ行くと実感するのですが、島国の日本と、隣の国がくっついている陸続きのヨーロッパ大陸と、今暮らしているアメリカでは、平和や戦争に対しての想いも考え方も大きく違っています。
ー音楽の力で、平和を継承することはできると思われますか?
大島:
実は、平和のための音楽コンサートに参加してほしいというお話をいただくことがよくあります。でも、実際に音楽をやれば戦争がなくなるかと尋ねられたら、わたしは自分にそこまでの力はないといつも思うんです。
ただ、平和とは一体何だろう?と、よく考えます。 積極的に平和について考えてみると、「自分のそばにいる人を日々大切にすること」が、平和の第一歩だと思えるんです。
私の力や、音楽の力では戦争を止めることはできませんが、日々周りにいる人のことを大切に思って、感謝をして過ごすことならできます。

ーピース文化祭の開会式の総合演出を担当する金沢知樹監督とは、長崎を舞台にした映画「SABAKAN」でお仕事をされています。
大島:
そうなんです。はじめは1曲の予定だったのですが、作品の舞台が長崎で、なおかつ作品の中に出てくる風景が子どもの頃に過ごしていた風景と重なったのもあって、それだったらぜひ全部やらせてくださいというお話をしました。金沢監督はとても素敵な方で、懐の広さや、コメディアン的な魅力もあって、ご一緒して楽しかったですね。
金沢さんが開会式の総合演出をなさるとのことなので、素敵なものになるんでしょうね。
ーながさきピース文化祭に期待されることはありますか?
大島:
この年齢になったから思うことかもしれませんが、今回のピース文化祭のプログラムやマインドが、これきりではなく、ここをスタートにしてつながっていくといいなと思います。
例えば、開催されるイベントの1つでもいいし、ショーでもいいんですが、ピース文化祭が終わった後でも、長崎のどこかで観られるとか。続いていくとか。長崎の人の手によって世代を超えてつながっていくといいなと思います。
とても印象的なエピソードがあるので紹介させてください。
ずいぶん前のことになりますが、ドイツのオーバーアマガウという村のニュースを観たんです。その村には、10年に1度、数ヶ月間にわたって上演される「キリスト受難劇」が伝わっています。劇は、村人総出で演じられます。10年に1度、その期間は仕事も休み、村をあげて劇をやるんですね。それが、300年以上続いているんです。
上演される年には、小さなまちに世界中からたくさんの人が劇を観に観光でやってくるんです。日本からもツアーが出ているくらいです。
その番組の中で、小さな子どもが「僕は10年後はキリストをやりたいんだ」って言っていたり、おじいちゃんやおばあちゃんが「10年後は自分たちはもうこの世の中にはいないだろうけど、この文化は続いていくだろう」と話をしていたのがとても印象に残りました。
村人の手によって、何百年も続いているのが、とてもいいなと思ったんです。
長崎にも、10年、20年、30年、もしかしたら百年後まで続いていくようなそういう文化がピース文化祭を機に生まれたらいいなと思います。
ただただ、いい曲を書く。
ー最後に、作曲や音楽を仕事にしたいと考えている方に向けて、メッセージをお願いします。
大島:
わたしがたどってきた道の話になりますが、いい先生と、いい先輩に出会うことが大切だと思います。その時は厳しく感じても、後になって振り返れば、 大変なことを勧めたり厳しいことを言ってくださる方との出会いが、自分にとっては絶対にプラスだったなと思えるんです。
そして、音楽をしたいのであれば、きちんと基礎の勉強をすることだと思います。
大学時代の先生の言葉で、今でもよく覚えていることがあります。「知ってて使わないのと、知らないで使わないのは全く違います」と。 つまり、いろんな理論や専門的な知識を知った上で、使わない選択をするのか、それとも、本当に何にも知らないで使わないのかは全く意味が違うと教わりました。だからきちんと勉強したほうがいいと思います。
大学を卒業した頃、先輩の作曲家に「これからどうやったら仕事が増えるでしょうか」と今となっては恥ずかしい質問をしたことがあるんです。 すると先輩が「ミチルちゃん、いい音楽を書けばいいんだよ」とだけ言われたんです。 この言葉を聞いた時、本当に目からうろこの思いでした。
もし、先輩が「いい仕事をしたいなら◯◯さんに会いに行ったら」とか、「◯◯プロデューサーにご挨拶へ行ったら」とかだったら、おそらく今の私はなかったなと思うんです。
「いい音楽を書けばいい」その言葉が、今はもう自分の一部になっています。
これからも、ただただいい曲を書くことだと思っています。
PROFILE

大島ミチル
長崎県出身。映画、TVなどの作曲家。第52回、第67回の毎日映画コンクール音楽賞受賞、 第21回、第24回、第26回、第27回、第29回、第30回、第38回の日本アカデミー優秀音楽賞、第31回の日本アカデミー最優秀音楽賞を受賞。バイオリン奏者ヒラリーハーンの委嘱作品「Memories」(CD「27アンコールピース」は2015年グラミー賞受賞)。代表作品として映画「サバカン」「ゴジラ対メカゴジラ」、NHK大河ドラマ「天地人」 始め多数。アメリカの映画芸術科学アカデミー会員。