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ピースな人々

壱岐の誇り、「鬼凧」を未来へ。

ピースな人々

鬼凧職人「鬼凧工房 平尾」 
斉藤あゆみさん

対馬と九州本土の間、玄界灘に浮かぶ長崎県の離島・壱岐には、一度見たら忘れられない迫力ある伝統工芸品「鬼凧」(おんだこ)があります。
江戸時代から代々受け継がれ、現在も島のあちこちで見ることのできる鬼凧ですが、時代の流れと共に作り手が減少し、現在は唯一の工房がその技を守っています。消えかけた伝統を、未来へつなぐ若き鬼凧職人「鬼凧工房 平尾」の斉藤あゆみさん(33)にお話しを伺いました。

鬼凧は長崎県知事指定伝統的工芸品の一つに指定されている。

壱岐の鬼凧(おんだこ)文化

壱岐の鬼凧は玩具というよりも、魔よけの縁起物として地元で親しまれています。新築祝いや開店祝いなどの場面では、無病息災・家内安全・商売繁盛の想いを託して贈られ、初節句には健やかな成長を願って、鬼凧を空に揚げる風習があるのです。
描かれているのは、大きな目玉の赤鬼が武士の兜(かぶと)に咬みつく場面。壱岐に伝わる鬼退治伝説の一幕なんだそうです。

鬼退治伝説
その昔、壱岐の島には数多くの鬼がすみついて、人々を苦しめていました。鬼を退治するために現れたのが、武士・百合若大臣(ゆりわかだいじん)。圧倒的な強さで次々と鬼を討ち、ついには鬼の大将・悪毒王(あくどくおう)の首を斬ります。
ところが悪毒王は、首だけになってもなお空から舞い戻り、最後の力をふりしぼって百合若大臣の兜に咬みつき、ようやくそこで息絶えました。
以来、人々は鬼が再び空から降りてこないように、百合若大臣の勇姿を描いた凧を空高く揚げました。それを見た鬼たちは恐れをなして、二度と島に現れなくなったといわれています。

百合若大臣にまつわる話は、浄瑠璃や能にもなっていて、各地にその伝説が残されている。

大きな音で、魔をよける

鬼退治伝説の絵柄に加えて、凧を揚げた時に鳴る、ブーンという蜂の羽音のような大きな音にも鬼、つまり悪いものや不吉なものを遠ざける力があるとされています。

凧の上部に張られた「シャミ」とよばれる弦が、風を受け振動して独特のうなり音を出すのです。現在はビニール製のテープが使われますが、以前は島で手に入る鯨のヒゲやフグの皮などが用いられていました。
同じような特徴を持つ凧が、平戸の「鬼洋蝶」(おにようちょう)や五島の「バラモン凧」など、長崎県内各地に伝わっています。

壱岐島東部にある景勝地、左京鼻は地元の人たちになじみのある凧揚げスポット。

 

受け継ぐという覚悟

唯一の工房

かつては各地区ごとに職人がいて盛んに作られていたそうですが、時代と共に作り手が減少。平成初頭には3軒残っていた工房も現在は1軒だけとなり、斉藤あゆみさん(33)と祖母の平尾フクヨさん(93)、ただ2人の職人が島の伝統を支えています。

「鬼凧工房 平尾」は、約50年前にフクヨさんとその夫、故 平尾明丈さんが立ち上げた工房です。2017年、明丈さんのケガをきっかけに、あゆみさんは鬼凧づくりを手伝い始めます。

福岡から壱岐へ通う日々

ー 高校卒業後は、福岡で暮らされていたそうですね。

「福岡市内の専門学校へ進学して、そのまま福岡で就職して、充実した日々を過ごしていました。たまに帰省することはあっても、Uターンは特に考えていなかったんです。でも祖父がケガをしてから、祖父母の様子をみに週末ごとに帰省するようになりました。」

ー 仕事の休日を使って、壱岐に帰る生活は大変だったのではないでしょうか。

「大変さよりも、高齢の祖父母が心配という気持ちの方が大きかったです。子ども時代、親が共働きだったので放課後や夏休みはほとんど祖父母と過ごしてきました。近所に同級生がいない地区だったこともあって、祖父母は家族であり遊び相手であり、すごく大切な存在だったんです。」

週末ごとに壱岐に帰省するようになったあゆみさんは、2人の生活の真ん中にあった「鬼凧作り」も手伝うようになります。

「私にできることはやりたいと思って、掃除や買い物と同じように、鬼凧作りも自然と手伝うようになりました。それまでは意識していなかったのですが、大人になってあらためて鬼凧作りを見てみると、2人のものづくりへのこだわりや姿勢、大変な工程も、素直にすごいなと感じたんです。壱岐のあちこちに祖父母が作った鬼凧が飾られていて、まさにこの人たちが壱岐の伝統を守ってきたんだなと、その意義深さにあらためて気づかされました。」

きっかけは祖父の一言

ー その頃はまだ、鬼凧を継ぐことを考えていなかったそうですね。

「最初は全く考えてもいませんでした。本気で考え始めたのは、祖父の一言がきっかけです。
祖父の身体が徐々に思うように動かなくなって、横になることが増えてきた頃、祖父がぽつりと『もう凧は、しまえ』と言ったんです。本当は続けたいのにできない悔しさ、職人としての誇りや葛藤、いろんな思いがその一言になって出たんだなとわかって、胸がしめつけられるように悲しくなりました。

祖母ははっきりと言葉にはしませんでしたが『祖父が続けられないならしょうがない』と自分に言い聞かせているように見えたんです。」

祖父から学ぶ鬼凧作り

ー その一言をきっかけに、本格的に鬼凧作りを習うようになったんですね。

「そうですね。祖父には体調のいい時に無理のない範囲で作業してもらい、それを見ながら少しずつ作り方を覚えました。難しくて何度も心が折れそうになりましたが、祖父母が『よう作っちょる、上手たい』と喜んでくれるのがうれしくて、元気を出してもらいたい一心で鬼凧作りを続けました。」

覚悟の芽生え

「そうしているうちに、祖父母が続けてきた鬼凧をここで終わらせたくない、という気持ちが芽生え始めました。今やめてしまえば、壱岐の鬼凧の伝統が目の前で途絶えてしまう。そんな焦りと、祖父が弱っていく悲しさ、残された時間が少ないとわかる切羽詰まった状態で、『私がやるしかない。祖父母を元気づけたい。壱岐に帰って鬼凧を継ごう』と覚悟を決めたんです。」

2019年、そうしてあゆみさんの壱岐での鬼凧職人としての人生が始まりました。
鬼凧作りを手伝い始めてからUターンを決意するまで、わずか1年にも満たない出来事。
最愛の孫に想いを託した祖父・明丈さんはその年の夏、静かに旅立ちました。

 

鬼凧ができるまで

ー すべて手作業という、鬼凧づくりの流れについて教えてください。

「①竹割り ②ヒゴ作り ③骨組み ④紙張り ⑤下絵付 ⑥仕上絵付 という順で作っています。サイズは30cmのものから250cmの大凧まで制作しています。最小サイズの鬼凧(約30cm)は完成までに最短で3日、最大の250cmサイズなら1週間以上かかります。」

①竹割り ②ヒゴ作り ③骨組み

骨組みに使用する竹ひごは、1体につき9本。工房裏に自生する竹を切り出し、必要な長さに切りそろえ、厚い皮や節を削いで繊維に沿って割きます。準備した竹ひごを曲げ、2つの頭部、下耳、上耳、アゴの各パーツに分けて糸で結び、バランスを見て組み上げます。
「ノコギリやナタ、小刀など道具はすべて祖父のものを譲り受けました。力のいる作業で、慣れないうちはケガをすることもありました。」

しっかりと糸で結んで固定する。接着剤やテープを使わない、昔ながらの手法。

④紙張り ⑤下絵付 ⑥仕上絵付

骨組みに和紙をピンと張り、鉛筆で下絵を描いて、墨で輪郭を入れていきます。
「基本的には祖父の作業を見て覚えましたが、ひとつだけ具体的に教わったのが『武士の目は、墨入れの最後にバランスを見て描き入れる』ということ。凧全体の印象を左右する、一番大切な部分だと言っていました。」

画竜点睛、最後に描き入れるのが武士の黒目。

「墨がきれいに乾いたら彩色に入ります。色は赤・黄・緑・橙の4色。祖父母は、他の職人が使っていなかった“食紅”を選んで使い続けてきました。色と色が混じりやすく、1色ずつ塗っては完全に乾かしてから次の色を入れる工夫が必要ですが、和紙にのせたときの発色のよさが決め手だったようです。

それから120cm以上の大きいサイズの凧には、金の龍を描き入れるのも祖父独自のデザインです。迫力ある龍は大凧によく映えます。還暦祝いなど要望に応じて、贈る相手の名前を入れることもあります。」

祖母フクヨさんと力を合わせて

ー 祖母であり職人の先輩であるフクヨさんと、どのような分担で作業をしていますか?

「もともと祖父は骨組みと墨入れを担当して、祖母が彩色や小さなサイズの制作をしていました。祖父の担当だった部分を私がそのまま引き継ぐ形で、祖母と分担して作業しています。93歳になっても現役で職人を続ける祖母の姿に、孫ながらすごいなと尊敬しています。私も同じように、一生をかけて鬼凧づくりに向き合っていけたらと思います。」

祖母のフクヨさん。

 

若き職人の現在地

ー 今年で鬼凧職人になって7年目を迎えるそうですが、当初と比べて気持ちの変化はありますか?

「当初はとにかく形にすることで精一杯で、完成しただけで満足していましたが、作り続けるうちに『もっといいものを作りたい』という気持ちがどんどん強くなっていきました。」

祖父の背中を追いかけて

「祖父が遺した鬼凧は、いつもそばに置いています。祖父の絵には、引き込まれるような迫力とどっしりとした力強さがあるんです。私の鬼凧には、まだその力が足りないと感じています。
“女性らしくて、柔らかい雰囲気がある”と評価してくださる方もいて、それも一つの良さなのかもしれません。でもいつか、祖父のような渋くて力強い鬼凧を描けるようになりたいと思っています。」

祖父 明丈さんが作った鬼凧。

張り替えという貴重な経験 

「鬼凧作りに慣れてきた頃、祖父の凧を張り替えるという貴重な経験をしました。ご年配のお客さんが、数十年前に結婚祝いに買ったという鬼凧を持って相談に来られたんです。『年月が経って和紙が傷んだけれど、張り替えができないだろうか。』というご依頼でした。
祖父の鬼凧が、こんなにも長く誰かの人生に寄り添って、大切にされてきたことを知って心を打たれました。

数十年前に作られた骨組みに新しい和紙を張り、自分の絵を重ねていく作業は、まるで祖父と一緒に鬼凧を作っているかのようで、もう一度隣で教わっている気持ちになりました。」

完成したのは、時を超えて祖父と共につくり上げた、世界にーつだけの鬼凧。お客さんに喜んでもらえたのはもちろん、職人としても、孫としてもかけがえのない経験になったと、あゆみさんは微笑みます。

子育てと両立しながら

ー 壱岐に戻られてから結婚・出産と、生活にも変化があられたそうですね。

「昨年の秋に第一子が生まれてからは、子育てをしながらの制作になりました。
それまで深夜も作業に没頭したり、繁忙期には工房に寝泊まりすることもありましたが、さすがに今はそうはいきません。
新しい生活リズムの中で、どうやって鬼凧の作業時間を確保するかが、今の課題です。家事の合間に進められる作業は何かを考えながら、なるべく計画的に動くようになりました。
今は日中、子どもと一緒に工房で過ごしています。祖母や母と共に成長を見守れるのがうれしいですね。」

 

鬼凧の未来を見つめて

ー あゆみさんが鬼凧の後継者になってから、特に力を入れていることは何でしょうか。

鬼凧を知ってもらうこと

「よりよい鬼凧を作ること、職人としての技をみがくことが基本ではありますが、それと同じくらい大切にしているのが、鬼凧を広める活動です。

私が後継者になったとはいえ、壱岐に工房はひとつしかありません。これからも鬼凧文化を残していくためには、まず“知ってもらうこと”が必要だと感じています。
その一環として、SNSアカウントを開設し、鬼凧のことや制作の様子などを発信しています。
壱岐島外はもちろん、海外の凧好きの方からの反応があって、これまで接点のなかった方との新たなつながりが生まれています。」

工房のほか、壱岐島内の道の駅や土産物店でも買うことができる。

また、若い世代にも親しみを持ってもらえるよう、鬼凧をモチーフにしたステッカーやTシャツなどオリジナルグッズを作りました。なかでもステッカーは気軽に手に取ってもらえて、お土産に人気です。」

― 絵付体験も大切にされている仕事のひとつだそうですね。

絵付体験を通して交流

「はい。鬼凧をもっと身近に感じてほしくて、絵付体験にも力を入れています。2022年に工房をリニューアルしたのを機に、本格的にスタートしました。旅先の目的地として訪れてもらい、壱岐観光を盛り上げるきっかけにつながればという思いもあります。

リニューアルした工房。ここで絵付体験ができる。

絵付体験の予約はSNSを通じて受け付けていて、現在は月に6〜8回ほど開催しています。夏休みや観光シーズンは特に多くの方が来てくれます。参加者は親子連れやカップル、ご年配の方、そして海外からの旅行者までさまざまです。」

 

ピース文化祭との関わり

ー 「ながさきピース文化祭2025」には、どのような形で参加される予定ですか?

「鬼凧作りの体験や凧揚げなど、おもしろい企画ができないか、関係者の方と調整している段階です。

関連イベントでは、絵付体験やオリジナルグッズの販売も予定しています。鬼凧の文化に触れながら、壱岐の伝統や手仕事の魅力を感じてほしいですね。

それから壱岐市の実行委員としても、ながさきピース文化祭に関わらせてもらっています。こういう会に参加するのは初めてなのですが、またとない機会なので、壱岐の盛り上げに少しでも貢献できればと思っています。」

オリジナルグッズの鬼凧バッヂ。

 

おわりに

ー 唯一の鬼凧工房、伝統を守っていくことにプレッシャーはありますか?

「祖母と2人で、壱岐の鬼凧作りを守っていくという状況に、職人としての重みやプレッシャーは正直感じています。でもそれ以上に今、祖父の鬼凧に少しでも近づきたい、この仕事を続けていきたいという気持ちが強いです。

これまで鬼凧の作り手は男性の職人がほとんどだったなか、孫とはいえ女性が継ぐことに対して、批判があることも覚悟していました。でも思っていた以上に多くの方から温かい応援の言葉をいただいています。島のあちこちで『頑張ってるね』『鬼凧を継いでくれてありがとう』と声をかけてもらうたび、胸が熱くなって、もっとがんばろうと思えるんです。」

鬼凧は壱岐の誇り

「それだけ鬼凧が壱岐のシンボルであり、地域の誇りなんだとあらためて実感する瞬間でもありますね。

だからこそ、これからも伝統を大切にしながら技術をみがき続け、鬼凧の魅力を多くの人に伝えていきたいです。特に若い人たちにも壱岐の大切な文化として知ってもらい、次の世代に受け継いでいけるよう、責任を持って取り組んでいきたいと思います。」

 

鬼凧は今も、壱岐の旅館や居酒屋など、あちこちに縁起物として大切に飾られています。あゆみさんと祖母のフクヨさんが現在進行形で守り続ける鬼凧を、ぜひ壱岐に足を運んで探してみてください。そこには壱岐の歴史と島の人々の誇りが息づいています。

祖母フクヨさんとあゆみさん。工房にて。

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