PEOPLE
ピースな人々
お風呂場がつなぐ、島と人々の記憶
薬湯&サウナ ofuroba
立石光助さん
五島列島の北端に位置する小値賀(おぢか)町に2022年の春、小さな公衆浴場が誕生しました。
築120年の古民家を再生し完成した「薬湯&サウナ ofuroba」では、島内に自生する薬草をブレンドした薬湯や、薪の香りが心地いいサウナが満喫できます。
地元の人が家族と一緒に貸切風呂を楽しむほか、遠方からサウナ愛好家が訪れるなど、島内外の人々に親しまれる場所となっています。

お風呂屋さんへの道
銭湯めぐりが趣味だった
ここを立ち上げたのは、関西から小値賀町へ移住した、佐世保市出身の立石光助さん(39)。
大学卒業後、関西の機械設計の企業に就職し7年ほど暮らすうちに、身近な公衆浴場の魅力にハマっていったそうです。
「関西で驚いたことの1つが、昭和の風情が感じられる昔ながらの銭湯が、たくさん残っていることでした。ランニングの後に近所のお風呂屋さんに寄って帰るのは、休日の定番コースでしたね。」
ー 公衆浴場のどのような部分に魅力を感じましたか?
「お風呂で心身ともにさっぱりできるのはもちろん、年季の入った建物や道具に出合えるのが魅力でした。新品には決して出せない、深い味わいや物語が感じられるので、それを1軒ずつ見せてもらうような気持ちで、ガイド本片手にいろんなお風呂屋さんをめぐりました。
それに、銭湯には必ずといっていいほどコミュティがあるのが特徴的で、挨拶をし合うのはもちろん『今日はあの人来てないね』という見守りの役割が、すごく自然な形で機能していたりします。現代の生活には少なくなった、人との温かいつながりがあるのも、銭湯ならではのいい文化だなと思いました。」

小値賀町への移住を決めた理由
ー 出身は佐世保市とお聞きしました。小値賀町とは縁があったのですか?
「新上五島町には父の故郷があって、小さい頃から何度も訪れてましたが、小値賀町は来たことがありませんでした。新上五島町を移住先の最有力候補として検討している時、ふと思い立って小値賀町に寄ったら、たちまち一目ぼれしてしまって、気づけばここに住もう、と心が決まっていました。
コンパクトな島のサイズ感も、『島の人みんなが知り合い』という距離感も、理想通りの島でしたね。」

島の廃材で、島のお風呂を沸かす
ー 小値賀町への移住を決めた時点で、公衆浴場を作りたいというお気持ちがあられたんですか?
「最初はぼんやりとした夢でしたが、小値賀町に公衆浴場がなかったことや、島の最終処分場に大量に積まれた廃材を見たことで、一層気持ちは強くなりました。
現在も一部の銭湯では、建物の解体で出た廃材や建築の端材などを、燃料に使っていると聞いたことがありました。この島の廃材でも、島のお風呂が沸かせたらいいなと思ったんです。
お風呂という憩いの場が作れるし、地域の課題解決に少し貢献できるのかもしれないと考えました。」

銭湯から譲り受けたもの
新しく作った公衆浴場なのに、昔からそこにあったような雰囲気が漂っているのには、古民家だからという以上の理由があります。

「この古い木製ロッカーの扉や、大きなのれん、お湯を沸かすボイラーなど、設備の多くは閉業した大阪の銭湯から譲り受けたものなんです。偶然の出会いが、ofuroba実現への大きな推進力になりました。」
ー 大阪の銭湯の方とは、偶然に出会ったそうですね。
「はい。友人の結婚式で訪れたインドネシアの空港で、たまたま隣に座った方が、大阪の“研磨屋さん”(金属加工)の社長でした。話がはずんで、工場に遊びに行くと約束して別れ、帰国後にお邪魔したんです。
その時、社長のお父さんから『長く続けてきた銭湯をたたんだ』という話しを聞きました。

思い切って『実は長崎の離島でお風呂屋さんをやりたいと考えているんです』と打ち明けると、『それならうちの設備をぜひ譲りたい』と言ってくださったんです。
一代で築いてこられた『思い入れのある銭湯を閉じることになったけれど、受け継いでくれる人に出会えたのがうれしい』と涙ぐまれました。
ただ僕の夢だった島のお風呂が、やるしかないという『使命』に変わった瞬間でした。」
使い込まれた設備や備品だけでなく、長年地域で愛された銭湯への思いもそのまま、受け継ごうと立石さんは決心します。

小値賀の皆さんと共に
廃寺の古材を活かして
ー そこから一気に、ofurobaオープンに向けて準備が始まったんですね。
「大工さん、佐官さん、設備屋さん、電気屋さん、そして地元の方々に支えられながら工事は進みました。
できるだけ古材を活かしたいという思いがあって、小値賀町を拠点に古民家再生を数多く手掛ける、アメリカ出身のブレットに、大いに助けてもらいました。近くの廃寺からレスキューしてくれていた古材や建具も活躍しています。」

「例えばサウナ室の『治療室』の文字が入った扉は、お寺に併設されていた歯科治療室のものを受け継いでいますし、ベンチや脱衣所の棚も、お寺で使われていた古材です。
また、間取りを変える際にはがした壁の土は、ブレットが保管していた土壁の土と合わせて練り直し、サウナ室の壁に生まれ変わりました。」
小値賀焼のタイル
ー 浴室のタイルも、とてもすてきですね。いろんな形があって見飽きません。
「小値賀の赤土で作ったタイルと、島の倉庫に眠っていた昭和50年頃のタイルを使っています。

陶芸の経験はなかったのですが、タイルを自作したいと思い、島の赤土を使って陶芸をされている『赤土研究会』の仲間に入れてもらうところからスタートしました。
何度も通いながら実験を重ねて、これならタイルにできるという条件が見つかったので、参加者を募り、子どもからご年配の方まで、一緒に思い思いの形を作ってもらいました。」

島の「助け合い」の心
ー タイル作りの他にも、地元の方たちの協力があったそうですね。
「工事の様子を気にかけて自らお手伝いに来てくださったり、人手がいるときには周囲に声をかけてくださったりと、多くの方の協力のおかげで、完成にこぎつけることができました。
縁もゆかりもなかった移住者の私に、皆さんやさしくしてくださるので、最初は驚きました。でも小値賀の人にとってそれは特別なことではなく、ごくごく当たり前のことなのだと、後々わかりました。集落単位で共同作業を行う機会が、とても多いのです。
島の暮らしを通して、助け合いの心が自然と生まれ、世代を越えて受け継がれてきたのかもしれません。そのことを感じるたび、小値賀に移住してよかったと思いますね。」

3ヶ月を予定していた工事期間は、結果的に7ヶ月に延長。手間をかけ、思いを込め、世界に一つしかないお風呂ができあがりました。
念願の一番風呂は、テストを兼ねて立石さんが、二番風呂には協力してくれた島の人たちが入り、達成感を分かち合ったそうです。

時を重ねたものの魅力
ー 古民家を再生し、譲ってもらった設備を活用し、島の廃材を燃料にする。新しいものを使うより、手間やコストがかかることではないでしょうか。
「確かに手間やコスト、効率を考えれば、一から作る方が近道かもしれません。しかし、新しいものはそこからしか歴史を刻めません。
すでに歴史あるものを生かすことは、建物や物が持つ記憶、人々の思いや物語まで、新しい形で生まれ変わらせ、受け継いでいける営みだと思います。」

「『古い』物は、ひとたび捨てたり壊したりすれば、その歴史ごとこの世から無くなります。ここまで紡がれた時間を、大切につなぐことができるのならば、それをやってみたかったんです。」
古民家の元の家主さんや、ここに遊びに来ていたという島の方も足を運び「こうやってまた、家に命を吹き込んでもらってありがたい」と喜ばれたそうです。
ピース文化祭との関わり
「布袋座 二〇一九」のメンバーとして
ー 「ながさきピース文化祭2025」には、どのような形で参加される予定ですか?
「小値賀町の有志でつくる、地元の文化芸術振興のチーム『布袋座 二〇一九』(ほていざ)に加わっています。
このチームでは、海外の芸術家が小値賀町に滞在する『アーティスト・イン・アイランド@小値賀』や、東京藝術大学と長崎大学による文化と健康の関係を探るプログラム『文化的処方』、『おぢか大文化祭』などをお手伝いしています。」

また文化祭期間中には、九州の酒造りを支えてきた『小値賀杜氏』(おぢかとうじ)の歴史を紹介するイベントを開催しようと、準備を進めているところです。
実は小値賀町には、優秀な杜氏を数多く輩出してきたという歴史があるんです。後継者不足が続き、いよいよ最後の『小値賀杜氏』となった近藤義一さんが、今まさに引退を迎えようとされています。」

「小値賀杜氏」の歴史をつなぐ
ー「小値賀杜氏」について教えてください。
「小値賀町では明治時代まで島内の酒蔵で日本酒が造られ、多くの人が働き手として関わっていました。しかし時代の変化とともに、島の酒造りが途絶えます。
島内での酒造りが衰退するにつれ、農家は島外へ出稼ぎに出るようになって、久留米の酒蔵で杜氏を務めた人が、小値賀から多くの島民を呼び、杜氏の育成に尽力しました。
そうして『小値賀杜氏』という優秀な職人集団が生まれ、九州各地の酒造で活躍することになったんです。」
ー そんな「小値賀杜氏」の歴史を伝えるお酒が、完成したそうですね。
「最後の『小値賀杜氏』である近藤義一さんが酒造りを行う、大分県日田市のクンチョウ酒造さんからの呼びかけで、このプロジェクトが始まりました。
そして今年の春に、小値賀町産のコシヒカリを原料に、最後の『小値賀杜氏』近藤義一さんがクンチョウ酒造で仕込んだお酒『一二三』が完成しました。
すでに小値賀町や日田市、佐世保市でも試飲イベントを行ない、大変好評でした。

このお酒を通して、一人でも多くの方に『小値賀杜氏』の歴史を知って、その技や魂、脈々と受け継がれる島の人たちの情熱を、じっくりと味わってほしいですね。」
時間や思いをつなぐ人でありたい

ー 最後に、これからの目標について教えてください。
「ちゃんとお風呂に入ることで、身体の調子を整え、健康にいい影響を与えることができますし『気持ちよかった、また来るね』と笑顔で帰られるのが、何よりうれしいので、まずはこのofurobaが、地域の皆さんの場所になっていくことが目標です。
小さなお風呂で、かつ事前予約制なので毎日は営業ができていません。島民の方で、まだofurobaに来たことがないという方にも、ぜひ公衆浴場のよさを味わってもらえるよう、頑張りたいです。
それから『小値賀杜氏』をはじめとする、小値賀町の歴史をもっと深堀りしてみたいですね。古いもの、昔ながらのこと、ここまで紡がれた時間を、未来へと大切につなぐことに挑戦し続けたいです。」
