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ピースな人々

長崎刺繍と長崎くんち

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長崎くんちは、寛永11年(1634年)から続く諏訪神社の秋の大祭。毎年10月7日、8日、9日の3日間開催されます。多くの観光客が訪れる長崎市を代表する催しです。
長崎くんちでは、豪華で美しい衣装や傘鉾も見どころのひとつ。惜しみなく注がれているのが「長崎刺繍」です。長崎刺繍は長崎県の無形文化財に指定されており、その技と心の継承に注目が集まっています。
長崎刺繍の第一人者であり、長崎県指定無形文化財長崎刺繍技術保持者である嘉勢照太さんにインタビューしました。

 

お話を聞いた嘉勢照太さん(右)と奥様の路子さん

  

絵描きになりたかった。

ー長崎刺繍のことを知ったのは長崎くんちの衣装でした。最近ですと、2023年の長崎くんちの際は、万屋町の傘鉾を制作された方として嘉勢さんのこともよくテレビでお見かけしました。

嘉勢さん:
長崎刺繍というものがあると知っている方の多くは、長崎くんちの傘鉾や衣装がきっかけという方がほとんどだと思います。長崎刺繍の技術が人目に触れる場が、長崎くんちです。そしてこの技を仕事として求められる機会も長崎くんちです。
技術があっても、依頼や制作の場や機会がないと残っていかないのが伝統工芸。そういった意味で、長崎刺繍は長崎くんちと切り離せません。

ーそもそも、刺繍の世界に入られたのは、どのようなきっかけだったのでしょうか。

嘉勢さん:
元々、私は絵描きになりたかったんです。でも、それでは食べられないと家族に反対され、工学系の学校に入りました。ですが、絵描きへの想いは断ち切れないまま、その後、美術の学校を受験するも失敗。そうやってウロウロしていたら、気づいた時には30歳になっていました。
もう年齢的にもきちんとしなければと、当時、私の母が出入りしていた八田刺繍店に修業させてもらうことになりました。
「弟子入りさせてください」とお願いしました。

ー絵描きを目指されていて、刺繍の世界へというつながりがピンとこないのですが、絵画と刺繍は共通点があるのでしょうか。

嘉勢さん:
刺繍は、いきなり糸を刺していくわけではありません。まず大事なのは図案です。
図案は今風にいうとデザインで、この過程がとても大切なのです。図案がよくないと、刺繍をしても良いものになりません。図案が重要な刺繍の世界は、絵描きを志していた私にとって、とても興味深いものでした。

  

「良か」「悪か」の修業時代。

ーまずはどんなことを修業されたのですか。

嘉勢さん:
いきなり刺繍では食べられませんので、アルバイトと刺繍の修業の両立です。
3年ほど、家で刺繍をして、師匠のところに持って行って見てもらっていました。
今は、丁寧に先輩や上司が教えてくれるのかもしれませんが、私が修業を始めたときは、とにかく見て学ぶ、真似をするという時代。師匠は「良か」「悪か」のどちらかしか言いません。
何回も何回も「良か」「悪か」を繰り返して、こうすればいいのかなという正解がわかるまでに10年くらいかかったでしょうか。

ーどんな時にご自身の成長を感じられましたか。

嘉勢さん:
着物の「紋」を任せられるようになった時です。紋を入れるというのは、実はとても難しいんです。小さなスペースに、きちんと紋を入れていく。刺繍の技術のほとんどが詰まっているので、紋を任せられるようになれば少しは認められたということかと思います。

ー紋を入れるまでにどれくらいの修業をされたのですか。

嘉勢さん:
5年かかりました。そのタイミングは、師匠が亡くなる直前でした。
その後も一人で刺繍を続け、1995年に自宅に「長崎刺繍工房」を設立しました。

ー長崎刺繍の主な道具はなんですか。

嘉勢さん:
より棒、絹糸、針、刺繍台があればできます。道具は昔から変わっていません。とてもシンプルなんですよ。
道具を持って移動して、制作ができます。
ただ、江戸時代は針も絹糸も長崎で手に入っていたのですが、徐々に道具屋も衰退し、長崎刺繍に使う長崎針は地元では手に入らなくなりました。絹糸も同じです。今はどちらも京都で仕入れています。また、必要な道具は自分で作ることもあります。

ー長崎刺繍にとっては厳しい状況なのですね。

嘉勢さん:
もう長い間、厳しい状況なんです。私が刺繍の世界に入った時点で、長崎刺繍は衰退していました。そもそも私自身が、長崎刺繍が厳しい状況になった後の後継者なんですよ。
需要、つまり仕事がないと工芸は廃れていきます。刺繍は着物文化あってこそのものなので、着物を着る人が減った現在、刺繍で食べていくのはとても難しいのです。京都は着物のニーズもあるのと、刺繍が求められるシーンがまだ豊富ですので、道具屋も含め、伝統工芸が残っています。
ただ、今の人に着物を着ましょうと言っても難しい。だからこそ長崎刺繍を未来に残すために何かしなければと考えています。こうしたインタビューを通じて、皆さんに知っていただくことはとても大切です。
知っていただかないと、興味を持つ方もやってみたいという方も現れません。

  

長崎刺繍と長崎くんち。

ー嘉勢さんは普段どんなお仕事をされているのですか。

嘉勢さん:
着物や帯の縫い紋や装飾紋を専門とするかたわら、創作活動もしています。
そしてご存知の長崎くんちの衣装の補修や制作、傘鉾垂れの復元などです。

ー長崎くんちの傘鉾や衣装、間近で見るとその迫力と豪華さに圧倒されます。刺繍でこんなに立体的な造形が作れるのかと驚きます。

嘉勢さん:
とても時間がかかる仕事です。長崎くんち関連の仕事の場合、町に残っているものの「修復」と「新作」の大きく二つに分かれます。どちらも大変なプレッシャーのかかる仕事です。そして膨大な時間がかかります。

装飾として使うガラスや銀細工。「びいどろ吹とも呼ばれるガラスの装飾は、長崎ならでは。」と嘉勢さん。地域の工芸が集約されてきた。

ー修復と新作があるのですね。

嘉勢さん:
江戸時代のものを補修することもあり、大変です。難しく厳しいですが、長崎くんちが好きなんです。だから続けられています。
1997年に、東古川の衣装を新しく作らせていただいたのが私にとって初めての新作です。長崎刺繍という固有名詞があるところに、新しいものを残す命題を持っていましたので、とてもありがたい機会でした。

東古川町をはじめ、各町の衣装を復元・新調したことを説明する路子さん。長崎刺繍の広報担当。

ーどれくらいの時間をかけて制作されるのですか。

嘉勢さん:
1つのものを3年~7年かけて作っていることが多いです。1つのものを7年かけて作るなんて、なかなか想像しにくいかもしれませんが、私にとって7年はあっという間です。皆さんの1年くらいの感覚かもしれません。
作業をしていると、今1ヶ月遅れると、数年先には数ヶ月の遅れになるなということがわかります。でも、長崎くんちには1度も遅れたことはありません。

ー踊町は7年に1度の出番なので、まさに長崎くんち周期なのですね。町の方の期待も大きいと思います。

嘉勢さん:
町や紹介してくださる方の信頼に応える仕事をしなければいけません。図案の時点で、町の方に「よか衣装ができるばい!」と喜んでもらえるように、期待以上の仕事をしたいと常に思っています。
長くその町で大切にされてきたものに関わるのですから、踊町の方々との信頼と信用を得ることが本当に大切です。
西浜町の傘鉾垂れ「姑蘇十八景の図」に取り組むにあたっては、描かれている中国の蘇州(日本でいう京都のような場所)に赴き、今は亡き越中哲也先生と共に蘇州大学で講義を受けて、歴史を学んできました。
理解を深めて針を刺すためです。

西浜町の傘鉾垂れに描かれた「姑蘇十八景の図」。昔の蘇州の風景が描かれている。西浜町は2024年の踊町。

 

40歳後半から60歳になるまで作りづづけたもの。

ー万屋町傘鉾垂れ「魚尽くし」はまさに豪華絢爛ですね。たくさんの海の生き物がまるで生きているかのような躍動感で刺繍されていますが、どれくらいの期間で制作されたのでしょうか。

嘉勢さん:
目標10年だったのですが、結果的には12年かかりました。40代の後半から60歳になるまで取り組んでいました。
江戸時代に作られた傘鉾で、まずはひたすら刺繍を模写しました。糸の撚り具合、鱗の数、糸の間隔も全て江戸時代と同じなんですよ。ですが、絹糸の原材料となる蚕が違うので、全く同じにはならないのです。
江戸時代にできたものを今の時代に出したらどうなるかなという気持ちで取り組みました。

万屋町の傘鉾垂れ「魚尽くし」。豪華絢爛の一言。まずは生き物を作り、できたものを縫い付けていく。それぞれの生き物にキャラクター性を持たせることを目指した。(2023年庭見世)
江戸時代の刺繍をひたすら模写し、鱗の数も、糸の間隔も、撚り具合も、全て研究し再現した。

ーその時のエピソードを路子さんに伺ってもいいですか。

路子さん:
下絵は、生きた魚を買ってきてスケッチすることにこだわりました。
タコも買ってきて水槽に入れてスケッチしました。思うような足の動きにならなくて、つついたりもしましたね。
ハモは漁協の方にお願いしてザルに入れて見せていただきました。
マツカサウオは鹿児島の水族館にいたので、現地に行って事情を説明し、スケッチをさせて欲しいと突撃しました。
アンコウは6キロのものをスケッチしました。さすがに自宅では捌けないので、スケッチの後にお店に持っていって捌いてもらってアンコウ鍋にして食べました。

ーすごいですね。

嘉勢さん:
実物を見てスケッチしたり、食べたりすることで骨格がわかるんです。骨格がわかると、良い仕事ができます。また、触ったことで、どういう意図で(江戸時代の刺繍職人が)この場所に糸の撚りを入れているのかもよく理解できるようになりました。
魚をモチーフにした刺繍は大変珍しく、長崎刺繍だけだと思います。
ただ本物に忠実に刺繍にするのではなく、歌舞伎のような表現でデフォルメも取り入れて、それぞれの魚がキャラクターとして見えてくるように制作しています。

通常、職人が傘鉾のお披露目に立ち会うことはないが、魚づくしが完成した際は嘉勢さんも紋付袴で立ち会った。

  

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